英語のお勉強
寓話の迷い道 in 英語格言の森 その12



「身籠った犬」


身籠った牝犬が、産まれる子供を小屋に置かせてくれるようにと別の犬にお願いし、簡単に認められた。その後、場所を返してくれるように小屋を貸した犬が求めたが、当の牝犬は、もう少しだけ、仔犬たちが連れ出せるだけ強くなるまでは、と嘆願した。その時期も過ぎると、小屋の主は、より強く自分の寝床を返すように求めはじめた。すると牝犬はこう言った。「もし私と子供たちにあなたが同等でありえるなら、私はここから出ていきましょう」


今回は他人(?)の親切心につけこみ、家を乗っ取った犬のお話です。この話を掲載している寓話集では「悪人の巧言には罠がある」との説明が付されています。この場合、「巧言」とは小屋を借りつづけるための口実ということでしょう。

ところで、他人に親切を働くことは、

One good turn deserves another. <情けは人のためならず>

この話を読むと、この言葉が思い浮かぶのではないでしょうか。ライオンが「二兎」を追ったわけではありませんが、欲張ったあげくに、結局何もその手に残らないところなどは、似ています。


If the sky fall, we shall catch larks.. <空が落ちればヒバリが捕れる>

ということで、まわりまわって自分のため、というようにも言われます。しかし、今回の話では、他者への親切が他者を利するだけで、まわりまわっても自分は損するばかりです。そうした点からすれば、「巧言には罠がある」というより、親切をするにも多少は相手を選びなさい、ということになります。本来ならばそうしたことはあまり考えるべきではないとも思われますが、他人の善意につけこもうとする輩に対して、

throwing good money after bad <泥棒に追い銭>

となるようなことをしてあげる謂れもありません。

とはいうものの、問題は、他人の善意につけこむ「悪人」をどうやって見わけるか、ということです。「悪人の巧言には裏が」といっても、そもそも見知らぬ人が善意を利用しようとしているのかどうかなど、容易に判断できるものでもありません。ということで、善いことをするにも多少は慎重であるべきといえましょうが、それにしても意識的な悪意に対しては、どうしても後手にまわってしまいます。

Heaven's vengeance is slow but sure. <天網恢恢疎にして漏らさず>

という言葉通りであれば、悪いことをすればいずれ罰を受けるということであり、善意のあげくに被害を被った際にも少しは慰めとなるかもしれません。ただ、逆に考えると、被害を受けても泣き寝入りをするということにもなりますから、これはこれで考えものです。